木原稔衆議院議員が高市早苗内閣にて官房長官に就任する件について、神奈川新聞社より礒本桂太郎が取材を受けました。
取材内容が記事になったのでご紹介いたします。
神奈川新聞2025年10月22日号付 第2面 政界の断面 より

 

「菅塾生」2人官邸入り

 

木原長官と遠藤補佐官

21日発足した高市早苗内閣の官房長官に木原稔氏、首相補佐官に遠藤敬氏が就いた。
木原氏は自民党県連 「かながわ政治大学校」(現・かながわ自民党未来カレッジ)の9期生、日本維新の会の遠藤氏は自民在籍時の国会議員候補時代に菅義偉元首相(衆院2区)の後押しを受けた。
「『菅塾』の門下生」(自民幹部)2人が官邸の要職を務めることとなり、「自民流の人材確保術」(公明党関係者)が結実した格好だ。

 

県議補選に学べ

政治大学校は1年1期で 30人前後が国会の仕組みなどについて議員から学ぶ。木原氏は「大学進学で上京し、横浜に暮らしたことを機に存在を知った」という。大手航空会社を辞し2004年に入校。
直後に横浜市旭区で県議補選があることに目を付けた菅氏は「実地で政治を学ばせよう」と当時の小此木八郎横浜市連会長(元国家公安委員長)に働きかけ、木原氏らを党公認の新人・磯本桂太郎氏 (県議6期、元副議長)の事務所で研修させた。
磯本氏によると、木原氏は「朝一番に事務所を開け、戸締まりして引き揚げる」ほどの精勤ぶりで在校生の中で一目置かれていた。演説の場所取りやポスター貼りなど諸事務も「あっという間に身に付け、しかも早くて上手だった」という。

木原氏は自民の公募を経て故郷の衆院熊本1区から政界入り。05年に初当選、09年に苦杯を喫したが、12年に返り咲き防衛相などを歴任した。
国会議員に就いてからも磯本氏ら神奈川の関係者と気軽に会食し、「大学校同期が熊本に届けに来てくれた寄せ書きは宝物」などと思い出を語るのを楽しみとしてきた。
21日の官邸入りを前に、「県議選研修は小此木さんから『菅さんの勧めだ』と説明された記憶がある」と木原氏。磯本氏は「志さえあれば政治家として活躍できることを木原さんが体現している」とエールを送った。

 

14年前の「貯金」

遠藤氏は11年、下野していた自民の衆院選挙区支部長に事実上内定。しかし当時40代で、党大阪府連の一部からは「まだ国政は早い」などと反対の声もあった。党副幹事長などを務めていた菅氏は「苦境の自民から立って戦ってくれる人材を粗末にするな」と遠藤
氏の応援で何度も大阪入り。府連関係者が「菅氏の役職剥奪」を党本部へ上申しようとする騒ぎにまで発展したという。
維新に移り国政転出を果たした遠藤氏だが、「菅さんへの感謝は忘れない」と語っている。
菅氏は同じ年、自民内に特別区設置法案を準備するプロジェクトチームを設立し座長に就任。維新が推す大阪都構想の支えともなった法整備も進めた。
「閣外協力」にこだわった維新が遠藤氏を官邸に置くことに同意したのも、一連の「菅氏への恩」(維新関係者)が背景にあったよ うだ。自民内から「14年前の菅さんの『貯金』に助けられた」(閣僚経験者)との評が聞かれる。
(有吉敏、中西悠、三木奈)

 

「神奈川のおかげ」

高市新政権の支柱となる官房長官に就いた木原稔氏は21日、 神奈川新聞社などの取材に「何の後ろ盾もなかった自分が政治家としてやってこられたのも神奈川で得た経験や人脈のおかげだ」と謝意を示した。

歴代の官房長官で最長記録を持つ菅義偉元首相(衆院2区)に対しては、「地縁も血縁もない中から自力で志を果たされた。公募で議員となった自分も少しでも近づけるよう精進したい」などと述べた。

木原氏は、「かながわ政治大学校」の研修で体験した横浜市旭区県議補選で、地元市議として指揮を執っていた古川直季氏 (衆院比例南関東)とも懇意。「神奈川は政治の現場や技術を学んだ場所。古川さんと話すと今でも勉強になる」と語った。
(有吉敏)