木原稔衆議院議員の官房長官就任について、神奈川新聞社の10月22日の記事と類似の記事が掲載されておりましたのでご紹介いたします。
神奈川新聞10月27日付(国会点描かながわの風)
「木原違い」からの縁
2年余り前、記事で「木原 誠二官房副長官」を「木原稔 官房副長官」と打ち間違えた。議員会館の事務所へおわびに出向くと稔氏のほうは本人が 「入閣経験もない自分が副長官に出世。こういうのを新聞辞令というのかな」と冗談交じりで接してくれた。
「熊本に次いで神奈川が第二の故郷だ」と30代のころに通った自民党県連政治大学校の思い出を楽しそうに披露。「大学校の好印象に救われた」と胸をなで下ろした。木原氏はほどなく防衛相として入閣。その際に神奈川時代の話を記事化すると喜ばれた。「横浜市旭区の県議補選での研修が本当に勉強になった」と付言があったと記憶する。
今回の「官房長官に内定」の報に「神奈川と縁があるから長官最長記録の菅義偉氏 (衆院2区)への思いでも聞こう」とひらめく。だが、すでに多忙を極めどこに現れる か分からない。首相指名選挙の直前、熊本の地元紙と放送局の記者3人で事務所前で張っていると偶然にも本人が登場した。地元の2人には「よぉっ」とあいさつ。筆者が名刺を渡そうとすると「神奈川さんだろ? 久しぶりだね」と笑顔で一言。うれしかった。
エレベーターなどで移動中の文字通り駆け足の取材となったが、補選で当選し現在も現職の磯本桂太郎県議の名を出すと「補選研修は小此木(八郎)さん(当時の自民横浜市連会長)から『菅さんの発案だ』と聞いたよなあ」。「『菅さんは秋田から出てきて地縁も血縁もなく横浜で議員になった。その人の指示なら間違いない』と説明もあったかな。 自分(木原氏)も公募出身だ から菅さんのようにありたいよね」などの貴重な証言を得る機会となった。
ミスはしてはいけない。ただ、その後の対応を誤らなければ新たな活路も生まれる。きっと「取材の神様」が助けてくれる。
=毎週月曜掲載(特別編集委員・有吉 敏)







